土曜日。
一週間ほど前から子供が夏休みに入ったので妻と子供は妻の実家に戻っていたが、2人が家に帰ってくるということで私は晩御飯を用意しておくことにした。
妻からは、
「夜暗くなったころに帰宅する。何か食べるものを用意してもらえるとうれしい。」
と連絡をもらっていたので、私の数少ない料理レパートリーの中から「カレーライス」と土曜日の昼間のテレビ番組で見た「冷シャブ」をつくることにした。
昼間、室温30度の中、将軍(妻)のご機嫌を損ねる事がないよう部屋の掃除を行い、夕方になって、クルマは妻が使用中なのでリュックサックを背負い自転車で買い物に出かけた。
カレーを作るために必要な材料を買い込み、スーパーでポリタンク(3 リットル)さえ買えば自由に汲めるマイナスイオン水をひとタンク汲んだ。
家に帰り、カレーと冷シャブを作った。我が家は裕福なご家庭ではないので、カレーに使った肉は安売りの豚肩肉の切り落としで、それを冷シャブにも使った。本当はシャブシャブ用の肉か豚バラ肉が良いとは思ったのだが、別で肉を買うのが面倒だったのとやはりコスト面を考えた結果「腹に入れば同じ」という我が家の格言どおりお安い肉を使ったのだった。
午後7時には2つの料理は出来上がった。しかしまだ妻たちは帰ってこなかった。とりあえず私は先に食事をとることにした。
冷シャブは自分が食べるために少しだけ皿にとり、大皿に入れた残りは冷蔵庫に入れておくことにした。この時、冷蔵庫内の温度を肉が硬くなってしまうのを避けるために少しだけ上げた。
午後11時過ぎ、妻たちは帰ってきた。
妻はくたびれたと、そしておなかが減ったと言った。
私は用意していたカレーと冷シャブを食べるかいと尋ねたが、妻はそういう気分じゃないと実家から貰ってきたカップラーメンを食べ始めた。まあ5時間近くも運転をしてきて疲れているところに、カレーと冷シャブは腹に重たいだろうから食べたくなくても無理もない。
その日は、もう夜も遅かったのでみんな休むことにした。
−−−−−。
日曜日。
室温は昨日から下がることなく30度を維持したままだった。クーラーなどというブルジョアな電化製品は我が家にはなく、私が独身時代に買った、ほとんど役に立たない小さな扇風機がひとつしかない我が家は居心地の悪い環境だった。
私は暑さからくる寝不足のせいだったのか軽い眩暈がある状態だった。こんな暑苦しい家にいるのは御免だったが、すぐれない体調は外出を拒んでいた。しかし、子供は昨日の夜から温泉(銭湯)に行きたいと言っていて、さらには今日になってプールにも行きたいと言い出した。
我が家の居心地の悪さが体調の悪さに勝り、家族そろってそう遠くないプールと温泉が一緒になった施設に行くことにした。
プールの中は家の中よりも断然気持ちがよく、此処に来たことを後悔することはなかった。
3時間ほどプールで涼み、昼と夕方の中間くらいの時間に家に帰ってきた。
家の中の状況は変わらず、室温も30度からすこしも下がっていなかった。私たち家族は帰ってきたことを後悔した。
その時、妻は提案した。
「扇風機を買いに行こう。」
私も疲れてはいたが、クルマの中の方がクーラーも効いていてよっぽど居心地がいい。それに、このまま夜を迎えるのは非常に辛い事態を招くことは眼に見えていた。
しかし、少しだけ懸念があった。以前にも猛暑が続き、電器店から扇風機がなくなるという状況になった記憶があった。その時、私たちも扇風機を求めて彷徨ったような記憶はなかったが、そんなことがあったことは覚えていた。しかし、行動をとらなくては快適な生活を得ることは出来ない。私は扇風機を手に入れたかった。プールに入ったことによって少しばかり体調も良くなっていたのも出かけようと考えた一因だった。
私たち家族は扇風機を求め家を出た。たぶん午後4時前だっただろう。それから、私たち家族は7店ほどの電器店・ホームセンターを回ったが、一軒として扇風機がある店はなかった。すべて売り切れてしまっていた。絶望が私たち家族を支配した。
午後9時になる頃、私たち家族は帰宅した。
部屋の中はいまだなんの変化もなかった。室温は下がっていなかったのだ。私たち家族はよりいっそう絶望した。
そして、その絶望のまま遅い夕食をとることにした。昼食を昼間に訪れたプールと温泉の施設で、いつもより遅い時間にとっていたので皆それほどおなかが空いていなかった。気温が高い状態も作用したのだろう。
夕食は電器店からの帰りのクルマの中で、私が前日の土曜日に作った「カレーライス」と「冷シャブ」にすることに決めていた。
カレーは朝のうちに妻が鍋から別の容器に移し冷凍保存されていたのでそれを温めた。冷シャブは冷蔵庫にラップをかけて入れておいたものを出してきた。
質素ながらも遅い夕食の支度が整い、いざ食べようとした時、冷シャブのラップをはずしていた妻が鋭く言った。
「変な臭いがする!」
妻の嗅覚は凄まじい。常人には感じないにおいを嗅ぎ分けることの出来る鼻で、私が通勤の電車で座ったかどうかまで判るのである。(ちなみに聴力も凄まじく、まさに地獄耳であるが視力は悪い)
「えぇ!まさか!」
私は妻から冷シャブを鋭く奪い、その昔、小学校の理科の実験で習ったように手でおびき寄せる様に「ニオイ」を嗅いだ。
「くさくないよ。」
「いや、肉の腐ったような臭いがした。」
妻は引かなかった。妻は疑心暗鬼なのだ。
私は、ニオイをもう一度、こんどはじかに嗅いでみた。なにも臭わなかった。ニオイがしたといえば、一緒にいれたピーマンと大根、そしてキャベツのニオイだけだった。
そこで私は食べてみた。普通だった。肉は作ったときより少しだけ硬くなっていたが味は変わらなかった。
だから私は妻に言った。
「大丈夫だよ。」
しかし妻は頑として譲らなかった。妻ももう一度ニオイを嗅いではみたものの、ラップをはずした時に感じたようなニオイを感じてはいなかったようだが、妻は自分の鼻(と感覚)を自負していたし、なによりもこれを子供に食べさせてはならないと思っていたようだ。妻は言った。
「この暑い室内、冷蔵庫に入っていたとはいえ安心できない。冷蔵庫なんか信じてちゃダメ。」
そしてさらに言った。
「あんたなんか、すぐに腹をこわすんだからやめなさい!」
私は思った。「嗚呼、もう駄目だ。私が初めて作った“冷シャブ”はほとんど箸をつけることなく捨てられてしまう。あの暑い中の苦労はなんだったのか・・・。あの汗は・・・。」
しかし、もうなにを思おうとも遅いのだ。妻は、彼女はこの家の将軍なのだ。彼女の言うことは絶対なのだ。この家の主導権は握られているのだ。彼女が気に入らないものはすべて捨てられてしまうのだ。今までどれほどの私の思い出の品(ガラクタ)が捨てられただろう。着ている服まで捨てられた。しかし彼女に逆らって勝てるはずがないのだ。今までどれほどの辛酸を舐めさせられたことだろうか。私は従うしかないのだ。私は腹が弱いのだ・・・・。
こうして、父(私)の作った「冷シャブ」は捨てられた。
・・・・。
私は今思いだす。
子供の頃、食事を残して怒られたことを。ごはんを残すと眼が潰れると言われたことを。高校の部活の顧問が食事の時は感謝を持ってすべて頂けと言っていたことを。
私は実行していた。食事を残すことはほとんどなかったし、多すぎる量の食事も吐きそうになるまで食べた。ごはんつぶはごはんをよそうへらに噛り付いて食べたし、私の食事をいつも用意してくれる妻に言葉ではうまく言えないがとても感謝している。
私は今思う。
子供たちよ、ごはんを残すな。野菜も食べろ。食事を用意してくれる人に感謝するのだ。そして自分でも食事を作り、誰かに食べさせ、後片付けをするのだ。食材を無駄にするな。料理の材料も自分で買うのだ。
・・・・以上。
(了)
あとがき・・・「冷シャブ」という言葉がなんど変換しても変換第一候補に「礼者部」となってしまうのが辛いところですね。ime がバカなのか、何か使い方が悪いのか・・・。まあどうでもいいことですが。暑いのにカレーを作ってしまうところがイタいですね。
追伸、小学生の頃からもう20年。私は今も食事の後片付け役です。今ほしい電化製品は扇風機と食器洗い乾燥機ですが、家が狭いので置き場所に困るのと、お金がないので買えません。なお、この物語はだいたいのところ事実です。
あと、この記事を作成中にこうさぎのイギーが「
ここ」というので T バックを打っておくことにしました。うーん、関係あるようなないような・・・。「すべての答えは自分自身の中にある by PSYCHO BABIES」特に意味なし。